「グラウンドは戦場だった」18歳で単身ブラジルへ 年商300億円「新時代」さのなおし社長の原点
居酒屋「新時代」などを展開する株式会社ファッズ。同社のグループ規模は、2026年8月現在で年商約300億円、従業員約9000人、店舗数約200店舗に上る。
今でこそ全国各地で「新時代」の看板を見るようになったが、同社を率いるさのなおし社長のキャリアは、飲食業界から始まったわけではない。
18歳で単身ブラジルへ渡り、プロサッカー選手としてプレー。激しい競争やいじめ、スラム街での経験、大ケガによる挫折を経て、26歳で飲食業界にゼロから飛び込んだ。現在の圧倒的な行動力は、どこから生まれたのか。その原点は、若き日に過ごしたブラジルにあった。
■進路希望は3年間「ブラジル」
(ブラジルにて)
さのなおし氏がサッカーを始めたのは8歳の頃。きっかけは「キャプテン翼」だったという。毎日のようにボールを蹴り、高校時代には全国大会にも出場。プロになることを本気で目指していた。工業高校では1年生から進路希望調査があったが、さのなおし氏が進路希望調査に書き続けた進路は「ブラジル」。1年生でもブラジル、2年生でもブラジル、3年生でもブラジル。先生からは理解されず、親が呼び出されることもあった。
それでも自ら人とのつながりをつくり、高校卒業後の18歳でブラジルへ渡った。
ところが、到着直後から厳しい現実が待っていた。持っていった荷物は、わずか1週間ほどですべて盗まれた。言葉も十分に通じない。
さらに、所属したチームでも日本人選手が歓迎されることもなかった。
「ロッカールームに戻ると、僕の荷物は毎日のようにゴミ箱に捨てられていました」
そんな日々が続いたという。
■いじめていた選手の家で知った「覚悟の差」
転機となったのは、自分をいじめていた選手から渡された住所のメモだった。
書かれていた通りにバスを乗り継ぐと、着いたのはスラム街。そこにはその選手が待っており、自宅へ案内された。決して裕福ではない家庭だったが、さのなおし氏のために精いっぱいの料理が用意されていた。
さらに両親から、「日本から来て大変だと思うけど、頑張れ」と励まされたという。
その時、さのなおし氏は気づいた。自分は「いじめられている」と悩んでいる。一方、その選手はスラム街で暮らす家族を養うために、人生を懸けてプロを目指している。
「僕はサッカーが好きだからやっている。でも彼は、生きるためにサッカーをやっていた。全然違うと思いました」そこから考え方が一変した。
「グラウンドは戦場」
パスが来ないなら、自分からボールを取りに行く。待っていてもチャンスは来ない。
「それまで生きてきた18年間は何だったんだろうと思うくらい、人が変わりました」
この経験は、現在の仕事にも「めちゃくちゃ生きている」とさのなおし氏は語る。
■残り5分で人生を変えた
(実際の試合の様子)
その後、まだプロ契約前だったさのなおし氏に思わぬチャンスが訪れる。
宿舎で翌日のプロチームの試合メンバーがテレビで発表されていると、自分の名前が流れた。
「自分はプロじゃないので、間違いだと思いました」
それでも翌日スタジアムへ行くと、ユニフォームを渡され、まさかのベンチ入り。
試合終了間際、残り約5分で監督から出場を命じられた。右サイドを駆け上がり、ボールを要求する。練習ではなかなか回ってこなかったパスが届いた。
ワントラップからクロスを上げると、味方選手が決めて同点。初めてのプレーでアシストした。
さらに試合終了直前、ゴール前にこぼれたボールを押し込み、自ら決勝点。チームは2対1で逆転勝利した。試合後、相手チームから契約の申し出があり、それを見ていた所属クラブから「彼はうちの選手だ」と言われ、プロ契約になった。
偶然巡ってきた数分間のチャンスを、さのなおし氏はつかみ切った。
■大ケガでプロ生活に終止符
(チームメンバーとともに)
その後、約4年間ブラジルでプロとしてプレーした。しかし、試合中に大ケガを負う。
「骨が皮膚から突き抜けていました」
それでも、ケガが分かれば試合から外されると考え、一度は隠してプレーを続けようとしたという。その後、日本へ帰国し治療を続けたものの、思うようには回復しなかった。
プロ復帰を断念。
目標を失い、約1年間ほとんど家から出ない生活を送った。そこから父親の建築会社で働き始めたが、心の中にはブラジル時代から抱いていた思いが残っていた。
「いつかブラジルのスラム街に飲食店を出したい」
あの時、自分に食事を振る舞ってくれた人たちに、いつか食を通じて恩返ししたい。
その思いから家業を離れ、26歳頃に飲食業界へ飛び込んだ。
■飲食未経験から2週間で店長
(修行先の備長扇屋にて)
入社したのは焼き鳥居酒屋「備長扇屋」。
最初は研修生として、アルバイトスタッフから仕事を教わる立場だった。
しかし、さのなおし氏は毎日のように本部へ電話した。
「店長をやらせてください」
そして入社からわずか2週間で、本当に店長になった。
もちろん、実務をすべて理解していたわけではない。
そこでスタッフには、
「僕は分からないし、できない。だからみんな教えて」
と伝えたという。
自分一人ですべてやるのではなく、仲間をまとめてチームをつくる。
月1回の店舗ミーティングやスタッフの表彰などにも取り組んだ。
「店舗のチームづくりと、サッカーのチームづくりは本当に一緒だと思います」
店長からマネージャーへ昇格すると、QSCや店長とお客様との接点を徹底的に改善。ある店舗ではわずか2カ月で売上を約2倍にしたという。
■「誰も出さない場所だから喜ばれる」
その後、独立したさのなおし氏は「備長扇屋」のFC店舗を開業。
さらに2号店に選んだのは「田んぼのど真ん中」だった。
交通量も少なく、周囲からは、
「1号店がたまたま成功しただけだ」
「絶対に成功しない」
と反対された。
それでもさのなおし氏は、
「こんなところに誰も店を出さないから、逆に喜ばれるじゃないですか」
と出店を決断。
その店舗も繁盛した。
5店舗まで展開した後、立ち上げたブランドが「新時代」だった。
「新時代」という名前は、約2年間悩み続けた末、ある日サウナの中で突然頭に浮かんだという。
ただし、最初から順風満帆だったわけではない。
1号店では全国の人気料理を集め、メニュー数は約130品。オープン直後こそ好調だったが、その後売上は急落した。
そこで約130品あったメニューを50品まで削減。
「いい商品はある。でも、その商品が輝いていない」
売りたい商品を明確にする戦略へ転換したところ、売上はその月から改善したという。
(本社のテストキッチンにて商品開発を行う様子)
■1000店舗の先にある「ブラジル」
さのなおし氏が現在掲げているのが、「1000の街を元気にする」というビジョンだ。
そのためには「おそらく1000店舗くらい必要」と考えている。
だが、その先にある夢は店舗数や売上高ではない。
最終的にやりたいこととしてさのなおし氏が挙げたのは、30年以上前、自分の人生を変えた場所だった。
「最終的にはブラジルのスラム街に店を出して、そこで僕が店長をやりたい」
18歳の時に学んだ「チャンスは自分から取りにいく」という姿勢。
サッカーから学んだチームづくり。
そして「誰もやらないなら自分がやる」という経営姿勢。
約200店舗へ成長した「新時代」の原点には、ブラジルで過ごしたさのなおし氏の若き日の経験がある。